父の日に想う(一週間遅れ)
2023-06-24


先週の父の日に、長女からビール、次女からつまみセットが送られてきた。
二人で事前に相談したらしい。
ともかく有り難いことです。



〜さて、本題は私の父の回想〜


一言で言えば、昔の家父長制度を引きずっているような父であった。

また、男ばかり四人兄弟の三男という影響もあったのだろうか?
上手く世渡りすることが大事と考え、実際、上手だったようである。
とある方に『仏様のような人』と言われて、ビックリしたことがある。
私にも『世渡りは大切』のような事を言われたことがあるが、”世渡り”という浅ましい響きが嫌いであった。

私が年少の頃は、休みの日曜日には朝からパチンコに出掛け、
タバコのカートンを持ち帰れば、機嫌が良かった。

会社員だった父の給料は、当時は現金支給で、、
毎月、母に幾ばくか渡し、あとは自分のものにしていたようである。
母は、私が幼少の頃から洋裁店に勤め、、
私はミシンの横で、一人で遊んでいた。

家族旅行や外食なども無縁で、面倒なことはしない性格だった。
でも、特段それを寂しく思ったことはなかった。
当時、夏休みには町内会などの行事があったし、、
そもそも、今と比べて、まだまだ豊かな時代ではなかった。
(我が家は、かなり倹約的ではあったが・・・)


悪い面ばかり記憶に残るが・・
至って真面目で、暴力や暴言を受けたことはなく、パチンコに行かない休みには、家で「改善提案」などを書いていた。
『これを出すと、一件500円(だったか?)貰えるんだぞ』と言われたことを覚えている。

そんな父も、母に先立たれ、14年間も一人で暮らした。
食事は面倒だったに違いないが、苦情を言うこともなく、多分に楽しそうであった。
老後に陶芸を趣味とし、そのうち、陶芸教室の手伝い役までしていた。
『先生』と言われていたことが後に分かりビックリしたが、それも、世渡りの良さかも知れない。

晩年の一年間は介護施設に入って貰ったが、
ボケることも、病気で苦しむこともなく、老衰で静かに息を引き取った。
幸せな一生だったのではないか、と想う。

今年七回忌を迎えるが、、
母と同じ月に亡くなり、年回りも配慮してくれたのか、、
父の三回忌と母の十七回忌を同時に済ませたし、
今年は、七回忌と二十一回忌を一緒にする予定である。

子供思いの父かも知れない。
[独り言]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット